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chokokoreito

ちょここが毎日をまったりと生きています。

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◆ちょここれいと◆



左手を上げて、やぁ!【ちょここ父の思い出】

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保育園の帰り道。

 

次女がアリさんの行列を観察し始めて早10分が経過していた。とっとと帰って夕飯の支度をしたいのに、子供には自分のご飯よりアリの引越しの方が重要案件らしい。

 

困ったなぁ。

困りながらも笑ってしまう。

 

いつも私に抱っこされる妹を見て羨ましそうにしている長女は、こういう時くらいしか私を独占できない。「りりぃちゃん歩いてよね」と言いながら私の手を握り、嬉しそうにしている。

 

我がまましたい時も我慢しているのだろう。

長女の手を握り返して、可愛いなぁと思う。

 

「さくらちゃんに、お母さんが手を上げてるねって言われたよ」

 

お母さんが手を上げている?

ああ、お迎えに行った時の話だな。他のママさん達は、保育園にお迎えに行くと、最初に「こんにちわ」「ありがとうございました」と、頭を下げながら先生に挨拶をする。

けれど私は「やっほー!」と左手を上げて娘たちにアピールしてから、先生とお話をしているのだ。

 

さくらちゃんに変なママだと思われてるかな。

そうかもしれない、目立つもんね。

 

でもお母さんは、あなたとりりぃちゃんが好きだから、わざと左手を上げてお迎えに行くんだよ。

 

 

 

父のラーメン屋

 私の両親は、私が小学5年生の頃から飲食店を営んでいた。一品料理が自慢で、エビチリと麻婆豆腐とチャーハンが売りの店。一番人気は手作り餃子なところが庶民派だけど、「うちはラーメン屋じゃなくて中華料理屋だよ」と父に窘められていた。

 

ラーメンは、普通盛りでも他所の店に比べ1.5倍は麺が多かった。1杯500円で女性なら食べきれないほど満腹になれる、美味しくてお客さん想いの優しいお店。

 

自宅と店は車で1時間ほどの距離があり、両親が帰ってくるのは毎晩11時過ぎだった。2つ上の兄とふたりで、母が作り置きしてくれたおかずを温め、テレビを観ながら静かに食べた。

 

 

店の休みは水曜日。

毎週水曜だけは、家族そろって夕飯を食べる。嬉しいけれど、父はスープの仕込みをするために翌日4時には家を出る。だから早く食べて早く寝たいらしく、夕方4時半からディナースタート。

 

父の作るラーメンが好きだった。店も綺麗で女性からの評判も良く、友人たちに自慢したいくらいだった。でも遠いし、連れていくほど仲の良い子もいないし、面倒だった。

 

自分達の都合で週6日は家を空けているくせに。

休みだからと4時半に夕飯を食べさせるなんて意味不明。

 

思っていることを外に出せない性格の私は、イライラしながらやり過ごしてた。

 

 

 

父と私

 小学5年生、軽く反抗期だったのかもしれない。親と一緒にいるのは苦痛だけど、離れていることは寂しいと感じていた。

 

母もさぞ手を焼いたことだろう。

我がままで傷つきやすい娘に、父の働いているところを見せようと、よく店に連れて行ってくれた。店の入り口から見て左手にカウンターがあり、その奥が厨房だった。コック帽の隙間から汗をたらし、必死で中華鍋を振る父の姿が見える。

 

私が店に顔を出すと、父は眉間にしわを寄せてギロッと睨んでくる。そして左手を「やぁ」と上げてみせる。

 

怖い。

知らない人からしたら怒ってるように見える。

 

睨みつけたように見えるのは目が悪いせいだし、左手を上げたのは、右手におたまを持っているからだ。

 

私も神妙な顔をして左手を上げかえす。

「お父さんのラーメンを食べに来たよ」心の中で、小さくつぶやいた。

 

 

 

父と脳梗塞

開店当初は客入りが少なかったものの、リーズナブルな価格で美味いと口コミが広がり、父の店は次第に繁盛していった。パート5人、アルバイト5人をローテーションで回し、父も母もひたすら働き続けてた。

 

私が社会人になりひとり暮らしを始めた頃、父は血栓脳梗塞の一種)で倒れた。

 

左の脳で血管がつまり、あと少しのところで破裂するところだったそうだ。初めての大きな病気に家族も本人もビックリしたが、回復力が高く命に別状はなかった。

 

右半身の麻痺があったけれど、地道なリハビリの成果か約3ヶ月ほどで退院することができた。ちょうど長嶋監督脳梗塞で倒れたのと同じ時期だったから、父は「長さんは俺のマネしてるな」と、眉間にシワを寄せて冗談を言った。

 

 

飲食店は数か月でも店を閉めてしまうと、固定客が来なくなる。

 

父の入院中、母は一品料理以外のメニューのみで店を開きつづけていた。ひとりでラーメンを作り、ひとりで餃子を焼いた。私は仕事をやめて、餃子を包んだり刻みものをしたり、ホールで接客をした。経費削減のために、パートとアルバイトは半数に減らした。

 

退院後すぐ厨房に入った父だったが、以前よりも体力が落ち、包丁を持つと手が震えた。母は父に細かい作業をさせなくて済むように、麺類メインのメニューに変更した。それでも自慢のチャーハンだけはメニューから消さず、父は中華鍋を振り続けた。

 

 

 

中華料理店からラーメン屋になった。

 

客は減った。それ以前は宴会の予約もたくさん入っていたが、麺類ばかりではお酒はすすまないだろう。ランチタイムは賑わうが、夕方以降は暇になった。パートとアルバイトは更に人数を減らし、私も店を手伝う必要はなくなった。

 

 

 

父と腎臓病

脳梗塞から10数年。私は結婚して娘を2人産んだ。父は孫が可愛くて仕方ないようで、長女のために長靴を買ってきたり、なにかと気に入られようと頑張っていた。

 

笑うと眉間にシワがよる。

長女は「おじいちゃん怖い」と指差して笑った。

 

 

 

再び倒れた。

急性腎不全。

入院は数週間で終わったが、週3回の人工透析に通わなければならなかった。飲食の制限、飲める水の量も常人の半分以下と指定され、車いすが無ければ移動できないほど足腰が弱った。

 

父は母に厨房を任せ、店の奥で横になったり本を読んで過ごしていた。

 

 

半年後、寝ている時に肺で出血を起こし血を吐いた。救急車で運ばれ、総合病院ではなく腎臓病専門の病院に入院する事になった。

 

自分と同い年の地井武男さんが亡くなったニュースを聞いて、「次は俺かな」と泣いた。ひとりで起き上がろうとしてベッドから落ち、看護婦さんに怒られると「家に帰りたい」と泣いた。

 

私は仕事と保育園のお迎えがあるため、毎日はお見舞いに行けず歯がゆい思いをしてた。家計も苦しく、病院までの交通費もなんとか工面している状態だった。事務職の他に内職をやろうかと考えていたくらいだった。

 

 

 

父のお見舞い

ある日、有給を使って子供たちと一緒にお見舞いに行くと、父は車いすに座って歯を磨いていた。脳梗塞の後遺症が強く出ていて、右手はほとんど動かせないようだった。

 

「歯を磨いているの?」

聞いても虚ろな目をするだけで、機械的に左手を動かし続ける。

 

 

 

あとどれくらい生きられるのだろう。

長生きしてほしいと願うのは、残酷なことだろうか。

日に日に弱っていく父に会うたび、私は父のことをどう受け止めたら良いのか、わからなくなっていた。

 

 

 

 話しかけても構ってくれないおじいちゃんに、娘たちはすぐに飽きてしまい「帰りたい」と騒ぎ始めた。長居するより回数を重ねて、父が話しをしてくれるタイミングを見つけよう。そう思って帰ることにした。

 

 

「じゃ、またね」

父に向かって左手を上げた。

父は黙って、歯ブラシを持ったまま左手を上げた。

 

 

 

父のこと

 2013年秋、父は他界した。

病院から呼び出しがかかり、母と兄、私がかけつけた時にはすで息が無く、手を握ると固くなり始めていた。

 

母は静かに鼻をすすり、兄は黙っていた。

私はボロボロと涙が止まらず、ただただ、泣き続けるだけだった。

 

 

 

思い出すのは、店の厨房で汗を流す父の姿。

私が扉を開けると、父は顔を上げて眉間にしわを寄せる。

そして、左手を「やぁ」と上げてみせる。

 

私は気がついていた。

兄と一緒に店に遊びに行く時は、左手を上げない。兄に向ってコクリと頷いて、私のことは構ってくれなかった。だけど、私がひとりで店に行った時だけ左手を上げて、父はココにいるぞと示してくれていたのだ。

 

 

父は照れ屋だった。

そして、私を特別扱いしてくれた。

 

 

中学生の頃、深夜放送されていたヒッチコックの映画を、父とふたりで震えながら観た。

結婚式には引きずる右足をかばいながら、一緒にバージンロードを歩いた。

私が生まれたばかりの長女を抱かせると、ゴツゴツとした手で抱き留めて「可愛いなぁ」とつぶやいた。

 

次女の妊娠中、切迫流産で入院した私にお地蔵さんの置物を買ってきて、これでたぶん良くなるぞと、眉間にシワを寄せて笑った。

病室から出る時、「へばの」と照れくさそうに左手を上げた。

 

 

 

私にとって父は特別な人だった。

父が、私だけに見せてくれる左手を上げる仕草が、好きだった。

 

私は父が大好きだった。

 

 

 

左手を上げて、やぁ!

左手を上げながら保育園に入るのは、私なりに子供たちへ愛情アピールをしているつもり。「会いたかったよー!」って、精一杯表現しているんですよ。

 

父が私に伝えてくれたように。

私も娘たちに伝えたい。

 

でもお友達におかしな母親と思われたのなら、ちょっと自粛しましょうか。アピールの仕方を間違えたかしら。明日からどうしよう……。

 

 

「いいねって。さくらちゃん」

いいねって、さくらちゃん?

 

 

さくらちゃんは、お母さんが手を振ってくれて羨ましいと言ったようだ。

 

あら、イイ子じゃない、好きになっちゃいそう。じゃあ左手上げてやぁってするのは、止めなくて良さそうだね?

 

明日はさくらちゃんにも手を振ってみようか?

「よその子にやぁってしたらダメなのー!」

 

 

 

 

アリさんの引越しは、日が暮れても終わらない。手を繋いで3人でおうちに帰ろう。

 また明日、お母さんがお迎えに行くの楽しみにしててね。

 

 

 

 

左手を上げて、やぁ!

ちょここと父と、娘たちの思い出でした。